所在地
|
景勝地
|
みどころ |
富山市 |
浮田家住宅 |
浮田家は代々、加賀藩・前田家の奥山廻り役を任じられ旧家。1965年に県指定文化財、79年に国重要文化財の指定を受けた。 |
富山市 |
五百羅漢 |
訪れる人の心を和ませる500余りの羅漢様。 |
富山市 | 富山県民会館分館内山邸 |
越中の豪農であった内山家の邸宅、庭園等を、昭和52年8月、13代内山季友(うちやますえとも)氏から富山県へ譲渡されたものです。 |
富山市 |
舟渡の飯綱(いづな)権現 |
西猪谷から神峡橋を渡ると、正面に素盞鳴社(すさのをしゃ)があります。その境内のうしろに小さな祠があり、その中に祀ってあります。顔は鼻と口が突きでて鳥天狗面に造られていて、秋葉様とも秋葉大権現とも呼ばれ親しまれています。 |
富山市 |
裏坂の地蔵菩薩 |
長走から下タ林に通じる道の通称「裏坂」の曲り角に、一体の地蔵尊と五輪の石塔、板碑七枚が祀ってあります。戦国時代、城生城攻防の戦いの際、多くの人が亡くなりました。その人たちの霊をなぐさめるため、この地蔵尊を祀り供養したと語り伝えられています。 |
富山市 | 春日公園(かすがこうえん) |
春日公園には、殿様清水と春日温泉があります。夏は冷たく冬は暖かいこの清水は、水質分析の結果「穴の谷霊水」に似ているということです |
富山市 |
黒田家長屋門 |
東大久保の旧家、黒田家には、長屋門と言われる大きく古い門が残っています。 前田藩家老の滝川邸の門を譲り受け改築したものです。 町文化財。 |
富山市 |
小糸宗左ェ門の碑 |
寛文の頃、農民を苦しめた藩政に対して直訴し、農民の苦しみを取り除こうとした宗左ェ門。藩の役人が宗左ェ門を罪人として召し捕りにきたところ、からくも逃げ切った村のヒーロー。 |
富山市 |
猿倉城跡 |
戦国時代、ここに猿倉城が築城。今は石碑が建てられ、往時を偲んでいます。猿倉山頂の城跡には、ヨーロッパの城を思わせる展望台「風の城」が建っていて、ライトアップされています。 |
富山市 |
寺家公園(じけこうえん) |
広さ約7万数千坪の広大な敷地を有する寺家公園。別名「船峅山公園」とも言われています。「とやま森林浴の森」にも指定され、一週約2キロメートルの霊所を巡りながら、樹影の小径(こみち)を散策するのもひとしおの趣があります。 |
富山市 |
清凉山浄光寺の大銀杏(いちょう) |
樹の高さは約45メートルもあり、実に壮観。樹令が約320年以上であるにもかかわらず樹勢が衰えず、春には黄緑色に、秋は真黄色に紅葉し、その姿は四季折々の美しさをつくりだしています。 |
富山市 | 神通峡 | 春の新緑、秋の紅葉と、県内有数の景勝地です。 |
富山市 | 直坂遺跡(すぐさかいせき) |
猿倉山のふもと、山間部と平野部の境界に形成された段丘上(標高約170m)に立地しています。直坂遺跡は、県内にある先土器時代、さらに縄文時代前期の遺跡の中でも、遺物内容がもっとも多岐にわたっています。 |
富山市 |
王塚・千坊山遺跡群(国指定史跡) |
連続する墳丘墓・古墳から古墳成形までの過程を体感。井田川・山田川流域に郡をなして分布する、弥生時代後期から古墳時代前期の遺跡群です。 |
富山市 | 鏡宮旧跡 |
白滝姫をめとった男の伝説。 |
富山市 | 猿丸太夫の塚 |
歌に詠まれた風景が目に浮かぶ。三十六歌仙の一人、猿丸太夫の「奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき」の歌は数納地区(今は廃村)で詠まれたといわれています。 |
富山市 |
四十ヶ滝 | 牛嶽中腹を4段に流れ落ちる美しい姿が印象的。 |
富山市 | 八郎兵衛大蛇退治の絵 |
鎌倉集落、田中家に代々伝わる絵。鎌倉の田中八郎兵衛が、身の丈6mもある大蛇をたたえ、富山藩主前田利幹(としつよ)より贈られたもの。 |
富山市 |
猪谷関所館 |
1階はパノラマモデルで西猪谷関所のあらましがわかる「橋本家史料コーナー」、神通峡の歴史、文化、自然を紹介する「神通峡資料コーナー」、2階は村歌舞伎の練習や研修等に利用できる「多目的ホール」を備えています。 |
高岡市 | 金屋町通り | 前田利長が城下町高岡の興隆繁栄を図る政策の一つとして、砺波郡西部金屋村より鋳物師7名を招いて、鋳物工場をこの金屋町に開かせた高岡銅器の発祥の地です。 |
高岡市 | 古城公園 | 加賀二代藩主前田利長が、築城したのが高岡城であり、その城跡が古城公園です。園内には、市民会館や図書館、動物園、博物館、体育館、自然資料館、弓道場、芸術の森などが整備され、市民の憩いの場となっています。 |
高岡市 | 桜谷古墳 | 二上山の北方、雨晴海岸に近い桜谷の丘。紀元3世紀末、農耕生活が普及し、生活文化が著しく向上した頃の遺跡。(国指定史跡) |
高岡市 | 土蔵造りの家「菅野家」 |
かつての北陸道に面し古くから商都高岡の中心地。この地域に残る土蔵づくりの町並み、なかでも「菅野家(すがのけ)」は文化的な価値も高い。(国指定重要文化財) |
高岡市 | 高岡市伏木北前船資料館(旧秋元家住宅) |
回船問屋の町家である旧秋元家住宅を「伏木北前船資料館」として開館。 |
高岡市 | 高岡山町筋-町並浪漫 |
高岡には御車山を有する町として山町と称せらる古い町並み、土蔵造りの家々が並ぶ高岡山町筋がある。その通り四町-小馬出町・木舟町・守山町・御馬出町から発信するホームページ。 |
高岡市 | 武田家住宅 |
甲斐の武田信玄の弟、武田逍遥軒の流れをくむといわれる家柄で、当地では代々肝煎(庄屋)を努めていた豪農宅。(国指定重要文化財) |
高岡市 | 前田利長墓所 | 加賀三代藩主前田利常が、高岡の町の礎を造った先代利長の冥福を祈って正保2年(1645年)に建設。(県指定文化財) |
氷見市 |
朝日貝塚 | 朝日丘の誓度寺境内にある貝塚のひとつです。我が国最大といわれるヒスイの大珠(長さ15 .95センチ 、重量470グラムの鰹節型をした大珠)やバスケット型土器など、豊富な遺物でも有名。(国指定文化財) |
氷見市 | 大境洞窟 |
日本で初めて調査された洞窟遺跡で、海蝕作用によりできた洞窟。(国指定文化財) |
砺波市 |
増山城跡 | 増山城跡は,砺波平野を一望に収める増山の山上にある。射水郡の守山城,新川郡の松倉城とともに、越中の三大山城に数えられる。(県指定史跡) |
小矢部市 |
桜町遺跡 | 今から約8000年前の縄文時代草創期から約2300年前の縄文時代晩期まで、縄文時代全期間にわたる遺跡。 |
小矢部市 | 若宮古墳 |
若宮古墳は砺波山丘陵の東端に位置する古墳時代後期の前方後円墳である。6世紀初頭に築造された首長墓と考えられている。 |
南砺市 | 村上家 |
国指定重要文化財、村上家合掌造りの歴史や五箇山の紹介。 |
南砺市 | 高瀬遺跡 |
奈良〜平安時代の「荘所跡」と考えられ、古代荘園跡としては初めて、国・県の史跡に指定されました。遺跡に隣接した歴史民俗資料館では、遺跡から出土した貴重な土器などを常設展示しています。 |
南砺市 |
棟方志功記念館愛染苑 |
福光には、棟方志功に深い関連がある場所がいくつもあります。福光へ疎開するきっかけになり、最初寄宿していた「光徳寺」、住宅をかまえた地「愛染苑」、志功が愛した桑山の山麓にある「福光美術館」などです。ここ「愛染苑」では棟方志功の福光での生活が感じられるように展示をしています。 |
射水市 |
串田新遺跡公園 |
縄文時代中期と古墳時代の複合遺跡。縄文時代中期の土器にはアナダラ貝の腹部を押しつけた文様が特徴的で、「串田新式」と名付けられている。(国指定史跡) |
上市町 |
穴の谷の霊水 | 緑深い山中の祠に清々と湧きでる穴の谷の霊水。 |
上市町 | 弘法大師の清水 | 弘法大師ゆかりの清水で、飲むと頭がよくなるといわれています。東福寺野公園の奥、日本海が一望できる高台の湧き水は、昔も今も人々に親しまれています。 |
立山町 | 立山黒部アルペンルート |
標高3000m級の峰々が連なる、北アルプスを貫く山岳観光ルート、大自然のダイナミズムを存分にお楽しみください。 |
入善町 | じょうべのま遺跡 | 東黒牧上野遺跡は常願寺側砂岩に形成された河岸段丘上に位置する縄文時代中期の集落遺跡である。(国指定史跡) |
朝日町 |
境・一里塚 | 慶長9年(1604)徳川幕府の命により、江戸日本橋を起点に、東海道・北陸道などの主要5 街道には、1里(36町、約4000メートル)ごとに、里程標の役割を果たす1里塚が築かれた。 |
朝日町 | 境・関所跡 | 慶長十九年(1614年)に設けられたものといわれ、加賀藩最大の関所跡。
越後に通じる親不知の難所を控え、交通の要所を押さえるように国境に設置されたものです。 |
朝日町 | 七重滝 | 朝日町の東部山地は飛騨山系の最北端に位置する仁王山に端を発した七重滝谷川(笹川支流)には七重滝がある。この滝は、流紋岩からなる断層崖を7段になって落下しいることからこの名称がついており、その落差は約60メートルに達している。 |
朝日町 | 芭蕉句碑 | 俳聖芭蕉が残した紀行文「奥の細道」中の「早稲の香や分けいる右は有磯海」の句碑。碑には建立者や年代等の刻記はまったく認められないが、県内にある芭蕉句碑中最大のものである。 |
朝日町 | 浜山玉つくり遺跡 | 浜山玉つくり遺跡は、越中宮崎駅から南方に見渡せる山裾の、浜山台地にある遺跡。朝日町もその支配を受け、大王に献上するために当時最高級の宝石である、硬玉(ひすい)の勾玉等を製作した工房跡である。 |
朝日町 | 不動堂遺跡 | 縄文時代中期の居住跡が十九棟、食料貯蔵庫と考えられる深い穴が九個、同時代の土器や石器が多数発見されました。国内最大級の竪穴居住跡であり、他の一般の居住型の四〜五倍もある大きさ。 |
朝日町 | 「北陸の宮」墳墓 | 「北陸の宮」は、「以仁王」の第一皇子。 |
朝日町 | 宮崎城跡 | 県内最古の山城である。平安時代の終わりに近い寿永2年(1183)に、木曽義仲が宮崎城の豪族宮崎太郎の一党とともに、越中進攻と入京の足掛かりを固めた城である。
(県指定史跡) |
各ページの記載事項・写真は無断転用を禁じます。 すべての著作権は 備北観光鰍ノ帰属します。 |